私はニット帽子のデザイナーなので、自分の作品に革をほとんど使用しません。でもシーズンによっては革ベルトをアクセサリーとして使用しますし、消費者としても靴やバッグでは、日頃から革にお世話になっています。
動物の革をファッションに使用することは、本来正しいことなのか? それとも間違ったことなのか……自問自答していた時期があります。あるエシカルブランドの商品を見ていたら、商品説明に「副産物の革を使用」と書いてありました。中身を食べる目的で殺された動物の革なら、捨てるよりは衣服に使用したほうが良いということですね。それは、そうかもしれません。また最近はフェイクレザー、フェイクファーの品質も高くなってきているので、全く使わないというのもアリかもしれません。
「命を食べる」ことの実際を、いっさい知らない私たち
では一歩進んで、「動物を食べる」という行為自体は、エシカルなのか否か? 非常に根源的で難しい問題なのは承知していますが、私なりに考えました。
もちろん、全くお肉を食べる必要はないという考え方もありだと思います。いまは、お肉の代わりになる食材もたくさん販売されています。しかしライオンがシマウマを食べるように、人間も一匹の動物として他の動物を食べるのは、しかたないことなのかもしれない、とも思います。古来から人間は狩りをし、動物を食して生き延びてきました。
しかし、本来のお肉の食べ方と現在のそれとは、何かが大きく違う気がするのも確かです。その違いは、「命を頂いている」ということを実感しているか否かの違いなのではないかと気づきました。
ヒトが自分で狩りをしていた頃は、否が応でも生きている動物を自分の手で殺し、死んでいく様を見届けていたと思います。それは重労働だったでしょうし、決して気持ちの良い行為ではなかったと想像します。でも、自分や家族が生き延びるために他の動物を殺し、捌き、そしてありがたくその命をいただいていたでしょう。
一方で、現在の肉のいただき方を考えてみました。私は主婦でもあるので、しょっちゅうスーパーの精肉売場に行きます。ステーキ用、しゃぶしゃぶ用、カレー用、ハンバーグ用……お肉はさまざまな形状にカットされ、きれいにパックされ、気軽に購入することができます。お肉を買い物かごに入れるとき、その動物が生きているときのことを想像する人がどれだけいるでしょうか? その動物が、殺される瞬間を思う人がどれだけいるでしょうか? 私は最近まで、考えてもみませんでした。そうです! 牛や豚が殺される瞬間、そしてどのように捌かれて店頭に並ぶのか、私たちは全く知らないのです!
お肉を食べることが善か悪かを考える前に、私たちも先人たちのように「動物を食べるために殺すということ」とはなんなのかを、頭で知るだけでなく五感で感じることが、まずは必要なのだと思いました。
東京都中央卸売市場食肉市場を訪ねました
小雨の降る秋のある日、私は品川駅前にある「東京都中央卸売市場食肉市場」を訪れました。通称「芝浦と場」と呼ばれている大きな施設です。ここには、毎日数百頭の牛と豚が運ばれてきます。その牛や豚は翌日にはここでと殺され、解体され、肉は競りにかけられ、市場に送り出されています。
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